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母が施設の自室で、転倒事故に遭いました。 時間はよく分かりません。 とにかく、真夜中前後のことです。 時刻によっては、昨日とも言えるし、一昨日とも言えますが、私は寝いりばなでしたし、突然電話を貰っても半ば寝ぼけていました。 何から書いたらよいか・・・。 覚悟はしていました。 精神科の主治医にセレネースを投与すれば転倒し易くなると言われていましたから。 それでも、実際に起これば、やっぱりショックです。 最初は、余り深刻には捉えませんでした。 それは、母の施設のスタッフや、後から聞けば協力病院の医師もそのように受け取っていたと感じられました。 で、電話で連絡を受けた私は、真夜中過ぎのことでもありましたし、スタッフに任せることにしました。 でも、結局、母は救急車で救命センターへ搬送されました。 私も三時前に息子の運転でセンターへ駆けつけました。 酸素マスクを付け、両手をミトンで包まれ、その手をベッドに縛られ、点滴を受け、やせ細った母は目をつぶっていました。 が、足を縮めたり、伸ばしたり。 よく見ると時々頭に力を入れていました。 その時は、それが何なのかよく分かりませんでしたが、12時間位後でもう一度面会に行った時、その動作が起き上がろうとしているものだと分かりました。 母は、ろれつのよく回らないまま、「おしっこ」とか、「起こして」とか、「早く」とか、単語を繰り返していました。 目は殆ど閉じていて、時々開けても目はうつろでした。 それでも「痛かったでしょう」と言うと「痛かった」と答えます。 でも、「おしっこ」と繰り返す母に「管を付けているからおしっこは大丈夫」と看護師さんや私が言っても、同じ言葉を繰り返すばかりです。 そして、ミトンを付けた両手で下半身に掛けられているバスタオルをよけて、起き上がろうとします。 反射運動のようでもあるし、意思を持ってしているようでもありました。 でも、分かりません。 そんなこんなで母が事故に遭ってからおよそ24時間くらいの間に、私は一時間仮眠したくらいで、ずっと起きていて、あれこれ用事を済ませました。 案の定、私が死ぬほど疲れていても、次男は自分のことばかり言います。 「飯!」と。 思ったとおりの酷い奴です。 確かに母は危篤と言う訳ではありません。 医師から、母の認知症の状態が今よりもっと悪くなると説明され、最悪の場合、どの程度の治療を施すかと尋ねられ、その場で決断を迫られました。 私は、「冷たい娘だと思われるかもしれませんが・・・」と断りながら、母を苦しめるだけの積極的な延命治療はしないと決断しました。 自分で母の命に関わる決断をするのは、辛いことです。 本当にそれでいいのか、と何度も自分に問い掛けました。 父が生きていて、私の代わりに最善の方法を決めてくれたらよかったのに、と思いもしました。 これを打ち込んでいる間に、真夜中を過ぎたので、また一日前のことになってしまいました。 さて、翌日、私は面会に行きませんでした。 母を見舞いに行きたい気持ちがなかったわけではありません。 でも、一日あれこれしただけで、体が休息を求めました。 なんて頼りない体になってしまったのでしょう。 若い時だったら、一晩眠れば、また翌日は頑張りが利いたのに・・・。 センターから母の状態が悪くなったというような連絡がなかったので、私は休息しました。 今の状態の母では、私は何の役にも立たないし、いざって時の為に頑張れるようにと思ったからです。 一日、休息を取りながら、殆どいつもと変わらぬ生活をしました。 それでも、普段は殆ど飲まない砂糖いっぱいの炭酸飲料や、ドーナツなど、甘いものを食べました。 中性脂肪を気にしながら・・・。 息子たちに「普段のお母さんの料理の味付けとは違って、濃い」と言われました。 最近、私の味覚はずっと変なのですが、それに疲れが出て、濃い味付けになったようです。 そして、普段なら味見をした時にそれを感じるのですが、私にはちょうどよいように感じました。 頑張って、踏ん張って、倒れない、がモットーと言えばモットーですが、本当にそれでいいのか・・・と考えてばかりいました。 余りにも感情を抑え過ぎているのではないかと。 理性的に考え過ぎているのではないかと。 もし、私が当事者ではなかったなら、当事者に「それでいいのだ」と言うでしょう。 病気の家族の為に、自分も病気になってしまえば、かえって他に迷惑を掛けたり、困ったことになるでしょうから。 でも、今回は私が当事者です。 いくら「それでいいのだ」と思っても、「本当にそれでいいの?」と考えてしまいます。 だけど、こういう時こそ理性的にならなければ。 幸い完全看護ですから、付き添いは要りませんが、もし付き添いが必要ならば、雇うことにした方がよさそうです。 私一人では、とても看病できそうにありません。 それでも、母が幼い私に注いでくれた愛情を思い出さないわけではありません。 その恩返しをするのは、今なのでしょうか。 母が転倒した日の昼間、電話を受けた私は、結局母に優しい言葉を掛けられませんでした。 「お金がない」という母に、余分に置いてあるお金が全部無くなってしまったのかと私は尋ねました。 母は、置き場所にあるお金のことをすっかり忘れていました。 そして、私の体調の悪さも忘れ、また「たまには顔を出してよ」と言いました。 それで、「具合が悪いのよ」と私は繰り返しました。 とにかく、中途で挫折したら、中性脂肪を減らすことはできないと思ったので。 まあ、夫と同じようにずっと薬を飲み続ければ問題はないのかも知れません。 それに、この先ずっと薬抜きで中性脂肪の管理はできないのかも知れません。 だから、自分の中性脂肪は薬に任せて、ストレスや疲れで甘いものをたらふく食べながら、母に顔を見せればよかったのかも知れません。 そして、母の希望のすべてを叶えればよかったのかも。 夫に尋ねました。 「私がお母さんの望みをすべてかなえることは無理だったよね」 勿論、夫は無理だったと答えました。 それに、母の要求はエスカレートするばかりでした。 以前は、夫に遠慮して土・日は電話をしなかった母も、認知症が進んでからはそんなことはお構いなしでした。 ですから、言い訳になるかもしれませんが、例え私が母のすべても望みをかなえられたとしても、母は決して満足することはなかったでしょう。 母がニコニコして暮らせたとしても、そのための犠牲は大き過ぎます。 私は母を今よりもっと恨み、うっとうしく思い、ストレスを溜め込んだに違いありません。 そうやって、今、私は自分を納得させようとしています。 私の持論のひとつに、誰かが亡くなった時、遺族が「こんなことなら、もっとあの時、できるだけのことをしておけばよかった」と思うのはおかしいと言うのがあります。 私は、それは自己憐憫だと思うからです。 遺族は、その時、できるだけのことは既にしたはずなのです。 後悔先に立たず・・・とは言うものの、一分一秒、一瞬も気を抜かずに一生を過ごすことは不可能です。 そんなに緊張ばかりしていたら、あっという間に一生が終わってしまうでしょう。 自分の為に生きる時間も必要です。 母は私に愛情を注いで育ててくれました。 私は息子たちに愛情を注いで育てました。 例えそれが十分ではなくても。 自分の限界は超えられません。 |
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セレネース投与後の副作用によりふらつきなどが予測される場合は、病院側その予防対策をほどこす必要があります。また、病院内の転倒事故については、その因果関係を明らかにして、賠償責任を求めることが可能です。 |
Ten-10 2010/02/10 12:52 |
Ten-10さん、コメントをありがとうございます。 |
忘れな草(管理人) 2010/02/26 22:45 |
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